2012年12月10日月曜日

絵画と三次元、ピカソの場合−2                   コンストラクションの絵画的展開(圧縮されたコンストラクション)


コンストラクションの絵画的展開(圧縮されたコンストラクション


前稿ではピカソによる高名なコンストラクション、Maquette for Guitar Guitar が彫刻として成立させられているということについて、素材と色彩の関係などから書いた。

実はピカソには同時期に、彫刻としてのコンストラクションから排除された色彩と、絵画表面によって制作された作品の系列がある。コンストラクション成立以前からあるコラージュと一見近いのだが、いくつかの点で区別は可能である。今回は、彫刻としてのコンストラクションとの関連性が強い、それらの作品について書いてみたい。

「圧縮されたコンストラクション」とでも呼ぶべき作品系列の最初が、Musical Score and Guitar. Paris, autumn 1912(写真1)である。、ギター中心部の穴の表現と思われる部分に、パステルでストライプが描かれた紙片がある。この紙片は、他のコラージュ作品とは出自が異なることを表明するかのように、ピンで留められている。青い地としての画面の上に、ハサミで切られた白、ベージュ、明るい茶、灰色の紙片と楽譜が貼られ構成されている。ギター胴部の明るい色面が画面全体の形と関わって、画面上部を縦に三分割するかのようにキャンバス上端に至り、他の色面を抑えて平面化している。と同時にこの色面が突出してしまうこと、画面が安定し過ぎることを回避するかのように、より明るいギターのネック部分が斜めの動きを見せて上に乗り、さらにこの色面を押さえ込んで再び画面全体に関わるように、黒いストライプを有した紙片がピンで留められている。1912年秋という制作時期から、この作品はMaquette for Guitarと同時期に、構造対比的に制作されたように思われる。作品構造(二次元と三次元、色彩の有無、ヴォリュームの有無など)に関する対比的な制作を同時期に行うのは、ピカソの基本的制作方法でもあるようだ。


写真1

 翌春のBar Table with Guitar. Ce’ret, spring 1913 (写真2)ではさらに多くの紙片がピンで留められている。模様のある紙片は、この時期の油彩作品における装飾的な要素と共通性がある。写真1作品では中心部に穴の表現と思われる紙片があるが、写真2作品では、木炭によって穴が描かれている。モチーフとしてのギターは初期コンストラクションを特徴付けるモチーフであり、彫刻としてのコンストラクションにおいてとりわけ単体でモチーフにされるのは、ギターが実体として、単体として存在していることに関連していると思われる。さらに中心部の穴は、作品の中心部でも強く機能する、構成上重要な要素であって、彫刻としてのコンストラクションにおいて、非実体として他の実体的な面的要素と対立的に、不在の中心部として機能している。
また、写真1 におけるギターと楽譜の組み合わせ、写真2におけるバー・テーブルとギターという組み合わせは、彫刻としてのコンストラクションが単体のモチーフであることと考え合わせると興味深い相違点である。


写真2

Guitar. Ce’ret, spring 1913(写真3) は様々な意味において興味深く、重要な作品であると思われる。まず、タイトルがGuitarであり、楽器単体をモチーフにしていることで写真1、写真2の圧縮されたコンストラクションとは異なっており、彫刻としてのコンストラクションと同様であること。また、紙をピンで留めるという方法ではなく、油彩を施されたキャンバスが切り抜かれてパネルに貼られていること。キュビスム絵画の多くのように、木炭や油彩で描き加えられずに、そのままで完成されていることなどである。ピンを使っていないのは、紙片とは異なり、色面それぞれが厚みと存在感のあるキャンバスであること、制作の進展によって、あえてピンを使用して彫刻としてのコンストラクションとの関連性を示す必要がなくなったことによるのではないだろうか。手元にある資料から見る限り、以後、ピンを使用した作品はない。

使用されている色彩はオリーブグリーン、濃い褐色、明るい褐色、黒、白で、統一感のある色調である。色面はペインティングナイフによる塗り跡が目立つ部分もあるが、概ね平坦である。色面の重ね合わせによる奥行きが感じられるが、決して浅いだけではなく、測定できない深さも感じられる。

興味深いのは中心部の長方形の白である。左側の長辺が少し斜めにされていて、完全に作品全体の形を繰り返すとは言えないが、オリーブグリーンの色面の右上にわずかに見える褐色の色面と相まって、画面の形を中心部に繰り返すような形体であり、その下になる色面を押さえて平面的にし、かつ深さを感じさせもする。これは写真1におけるギター胴部の明るい色面、さらには中央にピン留めされた紙片と似た機能であるが、それ以上に整理されている。ピンを使用しないこと、モチーフのイメージが弱く、抽象化の度合いが強いこともあって、作品全体が視覚化されている度合いが強い。

この作品はGuitarと題されてはいるが、ほとんど抽象画であり、彫刻としてのコンストラクションと対比的に制作されてきた「圧縮されたコンストラクション」の帰結、あるいはそれ以上の作品と考えて良いように思われる。総合的キュビスム以降の数多ある抽象を超えて、色彩の場としての絵画に直接つながる新しさを感じさせる構成である。デヴィッド・スミスやアンソニー・カロの彩色彫刻をも想起させられる。

写真3


                                      
                                  

                                  (古川流雄)




                 

2012年11月13日火曜日

絵画と三次元、ピカソの場合−1


キュビスム期のピカソにおける絵画と彫刻、コンストラクション

カービングやモデリングによる伝統的彫刻とは全く異なる、絵画から出現した3次元の制作はピカソによるコンストラクションから始まる。日本では実作をいつも見ることはかなわないが、2008年に世界巡回展があって、2月にスペインのマドリッドにあるソフィア王妃芸術センター、10月には日本の国立新美術館およびサントリー美術館で見ることができたピカソ展(パリの国立ピカソ美術館の所蔵品による)と、Picasso and Braque, PIONEERING CUBISM, William Rubin, THE MUSEUM OF MODERN ART, NEW YORKの図版を見ての分析、記述となる。

Woman's Head (Fernande).Paris, autumn 1909(写真1)では女性の頭部が分析的キュビスムの初期スタイルの彫刻として作られている。
この彫刻のためと思われるデッサンが3枚確認でき、正面から見られたものは単色のものと部分的に着彩されたものとがあるが、とりわけ着彩されたもので、ヴォリュームはありながら各部分が平坦になり始めている。後ろからの1枚は鉛筆と木炭で描かれていてヴォリューム感が強い(これはマティスの彫刻を思わせるところがある)。
彫刻の方は、伝統的彫刻に近く一体化されてはいるものの、顔と髪の毛がキュビスム風に鋭角的な小さなヴォリュームになりながら、実際よりも薄く平たいものになり始めている。
写真1
Maquette for Guitar. Paris, [October] 1912 Construction of cardboard, string, and wire (写真2)ではギターが厚紙と紐、針金で作られている。形体は厚紙による平たい形に分割され再統合されていて、当時のキュビスム絵画、とりわけコラージュの形体と浅い空間そのままに三次元化されている。ボリュームは現実と同じ凸部としてではなく、凹部の陰影によって表現されている。この作品こそがコンストラクションという新たな三次元、彫刻の始まりである。
写真2
ピカソのアトリエの壁に、テーブルや瓶といった他の要素と一緒に三次元化された絵画として設置された写真(写真3)があって、こちらの年代は1913年初頭になっているが、Maquette for Guitar の状態から考えると、元々写真3のように形作られたものではないかと推測する。そのギター部分のみが単独で独立させられた、写真はその証拠としてピカソ本人によって撮影されたのではないだろうか、という推測をする。
写真3
他の要素があった場合には、対比によって厚紙の色がギターの色としての表現として感じられる度合いが強まる。しかし単独の場合、伝統的彫刻同様、素材としての厚紙の色として感じられる。これは彫刻における素材と色彩のルネサンス以来の伝統と言える。その点においても、ヴォリューム表現ではないものの単独のものという統合においても、このギターは三次元化された絵画というよりもキュビスム絵画から派生、誕生した彫刻として最終的には成立させられたように感じられる。

Woman's Head (Fernande).Paris, autumn 1909(写真1)において薄く平たくなり始めた部分のヴォリュームが、このギターにおいて完全に平たいものになっている。そして量感を持たない平たい「皮膚としての表面」(グリーンバーグ、上田高弘訳、藤枝晃雄編)になった時、素材が量としての粘土から平たい厚紙へ、使う道具も粘土ベラからハサミへと変化している。また、この作品の形体はハサミによって切られたたどたどしさが残されている(とりわけギター左右の曲線的形体)が、この特徴的な形はハサミを使用するコラージュのみならず、後に筆によって描かれたピカソの絵画においても大きな特色になっていくものだ。

続くGuitar. Paris.[Winter 1912-13] Construction of sheet metal, string, and wire写真4)においてMaquette for Guitar は、ブリキ板によって再制作されてコンストラクションとしての彫刻のあり方が完成される。
この作品はMaquette for Guitarとほぼ同様なのだが、いくつかの変更がある。Maquette for Guitar 上部に認められる筆で描かれた陰影のようなものがなくなっていることと、ギター下部にある手前に直角に突き出す四角形の部分の追加である。
Maquette for Guitar が壁面に設置されたレリーフ状の絵画からそのまま取り出された、あるいはそれだけが残されたものであり、最初の段階で存在していたギター下部と一体化しながら存在していた斜めに手前に突き出すテーブルがなくなっていることの解決策と考えられる。
Guitar では、テーブルが果たしていた深さ、厚みといった空間的機能の代わりとして、手前に直角に突き出す四角形の部分が付け加えられたと思われるのである。
筆で描かれた部分の排除、素材としてのブリキの質感と色彩のままであることも彫刻としての伝統に従ったものと考えられる。
写真4

また、Woman's Head (Fernande)におけるデッサンの線が何本も引かれてボリュームを暗示するのに対して、Guitarの時期のデッサンでは線が整理されて一本になったものもあり、後のワイヤーコンストラクションすら暗示する。ピカソの場合、絵画と立体=彫刻は強い関係があり相互に影響しあっているのだが、Maquette for Guitar Guitar はその関係において、彫刻としての伝統に従いつつコンストラクションという新しい彫刻としての、三次元における形式を作り出している。
(古川流雄)



2012年9月17日月曜日

三次元以前のステラ

三次元以前のステラ
  ブラックペインティングについて

トムリンソン・コート・パーク(第2ヴァージョン) 1959年


リュネビル 1994年




8月の終わりにアトリエを早く出て、前回の「三次元における絵画の止揚」の続きを書くために、フランク・ステラのレリーフ絵画を再確認しようと川村記念美術館に立ち寄った。

美術館入り口右側、林の前に巨大な「リュネビル」が立っている。いつもはバブル時代の遺物か廃墟のように見ていたこの作品が、美術館を出た後は幾分異なって見える。あまりに巨大で大げさで、笑い出したくなるのは同じだが、ドン・キホーテの突進のようにステラは何に突進したのか、その突進を無意味と笑っていいものなのか。1959年のブラック・ペインティング、「トムリンソン・コート・パーク(第2ヴァージョン)」と1994年の「リュネヴィル」の間にステラがいる。

2階奥のステラ・コレクションの展示を見る。ブラック・ペインティングからアルミの素材感をむき出しにした1990年代半ばのレリーフまで一通りの作品を見ることができる。今回は「トムリンソン・コート・パーク(第2ヴァージョン)」について書くことで三次元の前を確認したいと思う。

この作品は、今見ると、とてもホットな熱い作品に見える。ミニマル・アートという言葉のクールな響きとは異質だ。熱気はまるで巨大なエネルギーをどうにかコントロールして止まっている、蒸気機関車のようだ。そういえばこの作品が制作された1959年にはまだ現役であったはずの旧世代を象徴する内燃機関。エナメルの黒が石炭の黒と重なって感じられる。

黒いエナメル一色の画面は刷毛の幅によって規定される、同じ幅のストライプが繰り返され、ストライプの区切りには地のロウ・キャンヴァスが細く白っぽく見えるが、ロウ・キャンバスへのエナメルの浸透により、塗られたストライプのむらのある光沢の塗料の厚みに対する、無光沢で塗料の厚みのない、少し明るい隙間として見え、画面には冷たい印象はない。かえって今回は、ポロック晩年のブラック・ペインティングとの同質性を強く感じさせられた。ロウ・キャンバスと黒いエナメルはポロック晩年と同じだ。抽象表現主義との深い繋がりを感じる。

作品の外形がそのまま繰り返されているのではない。一見、そう見えるのだが、同じ幅のストライプで描かれるので、キャンバスのプロポーションとはズレ続けてキャンバス中央部に細長い形が出現することになる。目で追うたびに、キャンバス外形と中央部の細長い長方形との、継続的変化をそれとなく感じるので作品が息づくのだと思われる。

さらには白っぽく細い塗り残しが、ストライプとストライプの位置を、平坦なのだが平坦なままには感じさせない、視覚的イリュージョンにして息づかせているようだ。

この作品は頭で作られたというより、ロウ・キャンヴァスとエナメルという素材、刷毛で塗るという制作行為の継続が作り出す視覚的物体とでも言うべきものとして作られているように感じられる。
                                   (美術家)

2012年8月23日木曜日

三次元における絵画の止揚

1986年 ギャラリー山口個展



1980年代に始まったこと
三次元における絵画の止揚

<積極的な芸術表現を求める二つの動き>
前回書いたように1980年頃、積極的な表現を求める制作と批評が始まった。積極的表現を、形式あるいは構造と共に求める共通の認識があったと思う。その動きは絵画の再評価へと向かった。絵画においてフォーマルなものを希求し、新たな表現を作り出そうとする動き。それは今も続いている。

同時期に、積極的表現を絵画に近い視覚に求めながらも、平面という通常の形態にとどまらない、三次元において絵画を止揚し、視覚形成を展開しようとする動きも始まっていた。そして、この方向こそが自分の芸術上の直観でもあったのだ。
前回書いた斉藤隆夫もそうであるし、最も大きな動きを見せて注目されていたのがフランク・ステラであり、日本でも盛んに美術マスコミで喧伝されていた。その作品の変遷は今も川村記念美術館で見ることができる。しかし、奇妙なことにあれほどに騒がれながら、責任ある批評がないままに過去のこととされて現在は無視されている。作家の立場であえて書くのは、こういう状況のなかで何もなかったことにされてしまうことへの強い危機感からだ。

1980年頃に始まった、通常の絵画に平行したもうひとつの芸術上の動きについて、誰も明らかにしないままになっている動きについて、今もその過程にいる者の立場として書いておきたい。

<三次元の前提として>
三次元における絵画的展開の前提としてジャクソン・ポロックとモーリス・ルイスの作品がある(すべてではない)。絵画という次元を、メディウム(キャンバスと絵の具)による直接的視覚形成という次元に変容させた表現である。通常の絵画(タブロー)のようなキャンバス全体という条件がないままに、絵の具とキャンバスを一体化することによって、直接的に視覚が形成される。ポロックにおいてキャンバスは絵の具を受け入れて一体化するために、地塗りが弱められ(ある場合は地塗りのない生の状態で)床に水平に広げ置かれる。弛められた絵の具と重力の作用をも取り入れることで絵の具とキャンバスは一体化し、描かれた全体が視覚野となる。物理的前提の無視と、残された余白の作用もあって、枠に張られて壁に垂直に掛けられることで特有のイリュージョンが派生するが、このイリュージョンは視覚性ゆえである。ここにおいて、絵画という呼称は不適当であり視覚的形成物と呼ばれるべきものになっている。

続くルイスにおいて、キャンバスと絵の具による視覚形成は更に新たな段階に入り、制作過程でキャンバスは平面ですらなくなっている。おそらくは手繰り寄せられた布の状態と、施される絵の具双方の作用によってその視覚は形成される。ポロック同様、最終的に枠に張られて壁面に垂直に掛けられるが、それは視覚にかなう方法だからで絵画だからではない。これは極めて重要なことだ。

このポロックとルイスの表現が作り出した視覚形成という次元、メディウムによる直接的視覚形成という次元こそが、1980年代に通常の絵画条件としての矩形と平面性を捨てさせる重要な要因であったと考える。この立場では、平面と枠の形態を視覚を形成することに先在させないことで絵画から視覚形成に移行したことをさらに延長上させることで三次元になっている。この立場はこの立場で、現象的にはより物理的になってしまうという矛盾をはらんでもいるのだが、そのことも含めて次回に続けたい。