2012年8月23日木曜日

三次元における絵画の止揚

1986年 ギャラリー山口個展



1980年代に始まったこと
三次元における絵画の止揚

<積極的な芸術表現を求める二つの動き>
前回書いたように1980年頃、積極的な表現を求める制作と批評が始まった。積極的表現を、形式あるいは構造と共に求める共通の認識があったと思う。その動きは絵画の再評価へと向かった。絵画においてフォーマルなものを希求し、新たな表現を作り出そうとする動き。それは今も続いている。

同時期に、積極的表現を絵画に近い視覚に求めながらも、平面という通常の形態にとどまらない、三次元において絵画を止揚し、視覚形成を展開しようとする動きも始まっていた。そして、この方向こそが自分の芸術上の直観でもあったのだ。
前回書いた斉藤隆夫もそうであるし、最も大きな動きを見せて注目されていたのがフランク・ステラであり、日本でも盛んに美術マスコミで喧伝されていた。その作品の変遷は今も川村記念美術館で見ることができる。しかし、奇妙なことにあれほどに騒がれながら、責任ある批評がないままに過去のこととされて現在は無視されている。作家の立場であえて書くのは、こういう状況のなかで何もなかったことにされてしまうことへの強い危機感からだ。

1980年頃に始まった、通常の絵画に平行したもうひとつの芸術上の動きについて、誰も明らかにしないままになっている動きについて、今もその過程にいる者の立場として書いておきたい。

<三次元の前提として>
三次元における絵画的展開の前提としてジャクソン・ポロックとモーリス・ルイスの作品がある(すべてではない)。絵画という次元を、メディウム(キャンバスと絵の具)による直接的視覚形成という次元に変容させた表現である。通常の絵画(タブロー)のようなキャンバス全体という条件がないままに、絵の具とキャンバスを一体化することによって、直接的に視覚が形成される。ポロックにおいてキャンバスは絵の具を受け入れて一体化するために、地塗りが弱められ(ある場合は地塗りのない生の状態で)床に水平に広げ置かれる。弛められた絵の具と重力の作用をも取り入れることで絵の具とキャンバスは一体化し、描かれた全体が視覚野となる。物理的前提の無視と、残された余白の作用もあって、枠に張られて壁に垂直に掛けられることで特有のイリュージョンが派生するが、このイリュージョンは視覚性ゆえである。ここにおいて、絵画という呼称は不適当であり視覚的形成物と呼ばれるべきものになっている。

続くルイスにおいて、キャンバスと絵の具による視覚形成は更に新たな段階に入り、制作過程でキャンバスは平面ですらなくなっている。おそらくは手繰り寄せられた布の状態と、施される絵の具双方の作用によってその視覚は形成される。ポロック同様、最終的に枠に張られて壁面に垂直に掛けられるが、それは視覚にかなう方法だからで絵画だからではない。これは極めて重要なことだ。

このポロックとルイスの表現が作り出した視覚形成という次元、メディウムによる直接的視覚形成という次元こそが、1980年代に通常の絵画条件としての矩形と平面性を捨てさせる重要な要因であったと考える。この立場では、平面と枠の形態を視覚を形成することに先在させないことで絵画から視覚形成に移行したことをさらに延長上させることで三次元になっている。この立場はこの立場で、現象的にはより物理的になってしまうという矛盾をはらんでもいるのだが、そのことも含めて次回に続けたい。