2014年4月7日月曜日

議論を好まない芸術と庭について  — 金地院庭園 —


議論を好まない芸術と庭について
 — 金地院庭園 —


「哲学は議論を嫌悪している(注−1)」と、ある哲学者が書いていた。芸術もまたそうであろう。
芸術が望むことはただひとつ、受容されることであり、議論されることではないだろう。受容されないのであれば、いっそ拒絶されることを望むのではないか。受容のない議論の虚しさ。

芸術に関して語る事、書く事は、個別・特殊なものでしかあり得ない芸術の、これもまた個別・特殊でしかあり得ない受容のかたちをできる限り詳らかにすることでしかないように思われる。この「作品をめぐって」がそのような言葉であった・あることを願うばかりである。

閑話休題。

いままでずっと意識の外において眺めるばかりであった庭、とりわけ石組みの庭に興味を覚え始め、京都でいくつかの庭を見て歩いた。専門家でもなく、きちんと学んで来たわけでもない私の立場で、およそ庭について語るなどという大それたことをするつもりはなかったのだが、実際に歩いてみると、とても面白く興味深く見る事ができたので、いくつかの庭への雑感のようなものを、今まで書いてきた作品と同じように書いてみたいと思う。背景には50代後半(?)から60代という最も精神的に充実していたと思われる壮年のころに、石組みによる数多くの作庭をしていた祖父の姿の記憶、今も残る庭がある。祖父は自らの最も充実していたであろう年代に何に興味を持ち、何をしていたのだろう?

京都市東山にある南禅寺塔頭、金地院の枯山水庭園。
大変高名な庭である。家康からの徳川家三代に亘って信任が篤く、黒衣の宰相という異名も持つ、金地院を再興した以心(金地院)崇伝が幕府作事奉行小堀遠州庭に依頼して地形縄張り(=基本設計)がなされ、庭師賢庭が作庭。小堀遠州54歳での代表的な庭・・・。この庭に直接間接に関わった人々はその時代、これ以上ありえない役者揃いである。これほどの庭に今更、この時代の私ごときが何を言うというのだろうか?
それでも、実際に見てみれば面白いと感じる事はたくさんある。美術家としての観点から書いてみたい。

もと伏見桃山城からの拝領という方丈には、狩野探幽、尚信の襖絵、長谷川等伯の襖絵(牧谿を模したという猿候図。思いがけず、もともとあったその部屋ですぐ近くに見ることができ、東博で見るのとは異なる経験ができた)がある。枯山水は方丈南に面した、古くは儀式用の空間である白砂の空間のさらに南側になる。家康を祀った東照宮のある丘からの斜面にはたくさんの常緑樹の刈り込みが重なり、その前、方丈から向かって左側に大きな亀島、同じく右に鶴島、中央に小さく蓬莱の石組みがある。鶴亀蓬莱様式の代表的庭園であり、とても明快な構成になっている。

方丈から眺めた庭園中央部

事前に見ていた本の写真よりも見やすい?と思っていたら、手前の白砂が鶴亀の石組みまで到達するように直されたようで(拡げられた白砂がより白く見え、最近のことのようである)、そのために石の手前側の輪郭がはっきり見やすくなっていたのだった。以前の写真では礼拝石(遥拝石)周りも苔であり、写真が新しいものほど白砂が石に迫るように広がっているようだ。現在のものが元々のかたちなのかどうかまでは不明。

礼拝石に至っては5畳程の大きさがあるという、巨大な石によって大ぶりに組まれているのだが、手前の広い白砂の空間、背後の大刈り込みが巨石を適度な大きさに感じさせ、大変派手やかで明るい印象の庭である。狩野派の障壁画と共通する感覚か。亀島に植えられた、今はほとんど白骨のようになっている見事な枝振りの槙柏、鶴島に植えられた対照的に青々と茂る大きな松も立派で、いかにも権力者好みの庭に見えるが、ただ権力を誇示しているようには見えず、権力だけが可能にする大胆な構想が何の衒いも無く実現された気持ちの良い庭のように感じられる。

本で見ていた写真ではあまり感じられなかったことだが、右側の鶴島から真横に中央に向けて水平に延びた直方体の巨石(鶴首石)、ほぼ中央にある巨大な平たい礼拝石(4〜5畳ほどもあるという)、さらに左側の亀島前に手前に向けて少し斜めに配された平らな石の、水平の面と線が、連続的に高さを低くしながら大きく視線を動かしている。鶴首石の体側に直角に立てられた大きな石が、水平面と直線の高さの変化と方向性を更に強調しているようだ。
手前の礼拝石と蓬莱石組

この巨大な水平面と直線の高さの変化とは逆になる斜め方向の動きを見せるのが、中央蓬莱の三尊石組みの中央=中尊から右の添え石、手前の石に連なる4個の石で、こちらは対照的に垂直方向で連続的に小刻みに高さを変える構成になっている。さらには左の添え石、中尊と中尊右に接した石、最後の小さめの石の天辺が水平で、礼拝石等の大きな水平面につながる。

蓬莱石組みは大きさ的にも鶴島と亀島に挟まれて小さく、実際の奥行き以上に遠近感を表現しているのは、背後の丘の斜面により奥行きがないこと、横一列に並ぶ構成の中で視覚的に奥行きを表現するためだろう。
庭園右側にある鶴島

庭園左側にある亀島



鶴島と言い、亀島と言い、イメージはあっても描写に拘泥するわけではなく、鶴の首を表現する長い直方体の石、羽根を表現する三角形の石、その他の自然石の構成の妙が主眼であり、直線や面によって、全体で何となくイメージを表現しているのは、総合的キュビスム時代のピカソのコラージュ作品を彷彿とさせる気がして、古い時代の庭にも関わらず今でも新鮮さを感じさせる。石組みによる、形体描写を超えた、直線と直方体の量感による構成を軸にした庭であった。


注−1 「哲学とは何か」ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ著 財津理訳 
    54ページ 14行目〜
    河出文庫 河出書房新社 2012年

参考文献
1、「日本の10大庭園  何を見ればいいのか 」 重森千青著
  祥伝社 2013年
2、「京の庭師と歩く 京の名庭」  小埜 雅章著
  株式会社平凡社 2003年
3、「図解 庭師が読み解く作庭記」  小埜 雅章著
  株式会社学芸出版社 2013年
4、「京都名庭園」 水野克比古著
  光村推古書院 2002年
5、「名園を歩く 第5巻 江戸時代初期Ⅱ」 写真:大橋治三 解説:斎藤忠一
  毎日新聞社 1989年