2015年3月9日月曜日

EVA HESSEと山田正亮  ー 襞 ー

エヴァ・ヘッセと山田正亮
  ー 襞 ー

再びエヴァ・ヘッセについて、襞にからめて少し書きたい。

前回2014年12月ブログに「樹脂の使用には、単なる素材としての意味に留まらない新しいミディアムとしての樹脂の可能性、そして新たな構造につながる形態の可能性が感じられる。」と書いたのだが、これは不十分で不正確な書き方だった。
単に「新たな構造」ではそれまでの芸術形態、形式内部の話になってしまう。ここは「新たな芸術の形成に関わるあり方」と書くべきだ。

いまエヴァ・ヘッセについてどのような評価があるのか私は知らないのだが、昔、語られていた範囲ではミニマリズムの少し変わった作家というようなことだったように記憶する。またはフェミニズムと結びつける見方もあったのか、批判する言葉を聞いたこともあった。

前回ブログではポロック、ルイスと続くミディアムの自発的形成力に続いて、それを3次元の形態に移行させた制作としてエヴァ・ヘッセを取り上げたのだった。同じ視点はロバート・モリスのアンチ・フォーム(フェルト作品)も持っているが、ものの状態の強調なのか、一時的な形態として可変的素材であるフェルトが使われている(インターネットで画像検索すると、以前は見た記憶のない色彩を重ねたフェルト作品もあって、あれは最近制作したものなのだろうか)。 

「歪みの導入=FRPによる自由な形成」とも書いたのだが、これにも間違いがあった。
画集を良く確認してみたら gum rubber mold cast を使用しているので型は使っていた。ただ、先端部分の変形は型とは無関係である。

それよりも重要なことは作品をかたちづくる襞と樹脂だ。

「Sans Ⅱ」1968はエヴァ・ヘッセの代表作と言われるべき作品である。
全体ではおおよそ96,5x655,3x15,6cm、5ユニットからなり1ユニット96,5x218,4x15,6cmとなる。
歪んだ棚のようなそれは、2種類の襞によってかたちづくられている。
外周と中央に横一線に貫く襞と縦に多数並ぶのが大きな襞であり、それによってかたちづくられた上下2段の長方形を横に貫いて視覚的に上下に分けるのがずっと高さも低くて薄い襞である。
作品全体がFRP(ガラス繊維とポリエステル樹脂で作られているので琥珀色に光を透過しながらぬめぬめとした光沢も持っている。
この襞は予め存在する全体を部分に分離、分割しているのではなく、ちょうど受精卵が発生の過程で細胞分裂を起していくかのようである。高さと厚さの異なる2種類の襞があることがさらに分裂過程であるように感じさせる。5ユニットであることもこの分裂の結果としての全体に適う。ぬめぬめとした質感も含めて生物の発生過程に近しいものであることを感じさせる。樹脂の透明感が、部分が部分として分離してしまわない印象をさらに強める。

襞、数の起源としての刻み込まれた線状とも相同的なもの。ヘッセにおいてその始まりは1968年夏に制作された「Area」だろうか。長いラテックスが折り目を付けるように何度も折られ壁から床に広がる。続く「Seam」では襞は中央にあり、やはり壁から床に延びるが、こちらは襞が縦に長い作品を縦断するように中央にある。これは分割ではなくまさに襞の発生だ。外周の形が強いのだが、中央の襞は手前に突出して平たい周辺部よりも存在感が強い。作品全体を生成させる襞と言える。襞は凸、こちらは凹なので逆なのだが大陸のプレートが押し広げられる大地溝帯を思い起こしてしまう。
このヘッセの作品は中央にジップを持つバーネット・ニューマンの「Be Ⅰ」を強く想起させる。

「Area」1968

「Seam]1968

「Be Ⅰ」1949

日本においてこのような作品を制作していたのが山田正亮である。

最もエヴァ・ヘッセを想起させるのが1967年に制作された、Work Cp-413という紙を折って広げられ、明るい灰色(単に灰色なのか、メタリックなグレイなのか印刷では判別できない)の油絵具?が塗られた作品だ。紙の折り目が襞状に突出して、平面作品というよりは3次元と言ったほうが良い作品である。中央部縦に一本通る襞が水平に繰り返される襞を分ける。この中央の襞によって紙の外形から演繹される分割とは異なる、襞それ自体が生れ出ることで広がりとしての表面を押し広げるようなあらわれになっていると思う。エヴァ・ヘッセの「Area」と「Seam」を足したような作品である。

「Work Cp-413」1967

 
その時期のものと思われる山田の紙の作品について文章を残しているのがジョセフ・ラブだ。1981年に出版された「山田正亮 絵画1950-1980」に「山田正亮」と題して「正確な正方形や長方形に折りたたまれた白い紙の作品を見た。そこには概念的なものや純粋に数学的な要素は見られなかったが、黄金分割に近づきながら決して正確に到達しえなかったギリシャ神殿の正面の比率に見られるのと同様の極限の不可欠性の体験があった。見る者に瞑想的な姿勢を呼び起こす静謐さがあった。何かを教示しようとするのではなく、そこにあるのは見る事だけであった」という美しい文章を残している。

今の私は、ヘッセや山田の作品にある「自己生成性」とでもいうべきあらわれに興味がある。そこにメディウムの自発性、自己形成性が一体になった地点を見ている。

(古川流雄:美術家)

参考
1、『EVA HESSE 』 Lucy R. Lippard    New York  New York Univercity Press 1976
2、『山田正亮 絵画1950-1980』 山田正亮画集刊行会 1981
3、『WORKS  YAMADA MASAAKI』 美術出版社 1990